福岡のとある宅老所のお話し☆


福岡の宅老所でのお話し・・・

ある家族(息子さんと認知症の婆ちゃんの二人暮らし)が、突然この宅老所を訪ねてきて、事情を聞くと 婆ちゃんは病院に何ヶ月か前から入院していて、その病院でベッド上で拘束され、それを見かねて息子さんと病院を脱走して、自宅でいざ母ちゃん(婆ちゃん)を看たものの看きれず、
この宅老所に駆け込んできたそうです。

そしてこの宅老所で婆ちゃんは通いや泊まりを利用しながら、最初は病院での恐怖心からか少しでも婆ちゃんに触れようものなら、ギャーって叫んでスタッフへの殴る蹴るの行為も見られたみたいだけど、
関わりを密にしながら、除々に元気をとりもどしてきた。
笑顔もでてきて,時々歌も歌う様になった。

でも時間がたつにつれて息子さんが、やって欲しいことと宅老所でのやっていることにずれが生じ始めて、ついには宅老所を辞めてしまいました。

その後婆ちゃんは、色々な通所施設なんかを利用したり、ヘルパーさんを利用してみたりしたとの事です。

そして宅老所を辞めて半年程たったある日息子さんから連絡があったそうです。そして仕事の事情でどうしてもしばらく婆ちゃんを看きれなくなったので、もう一度この宅老所であずかってもらいたいって話しでした。

あずかる以上は、以前の様な行き違いが起こらない様に
以前とやれることは変えるつもりがないこと、それでも大丈夫なのか?
そう訪ねると、しばらくして息子さんから断りの連絡がありました。

母ちゃんは病院に入れると言われ、宅老所の代表者は「あなたがここならと思う病院があるんですか?」と訪ねると、息子さんは以前、宅老所を自らの判断で辞め今更またあずけようとしている事が虫がよすぎると思っての判断だったそうです。

その後も息子さんと何度かやりとりをしたそうです。
そしてある日こんなやりとりがあったそうです。

『何かあったら、とにかく言って。あなたが介護しきらんごとなったら、
 介護しきらんでもうこれ以上無理って思ったときは、この宅老所の玄関
 のところに婆ちゃんを置いてって』


『捨てていけっちな!?』


『この宅老所に託したと思ったら、あなたは抵抗があるんでしょう。
 捨てていけとは言わないけれど、置いてもらったら必ず拾うけん』

その後婆ちゃんは、病院で肺炎を患い亡くなったそうです。

そして、しばらくたったある日、宅老所の郵便受けに、封筒に入ったお金が投げ入れられていたそうです。



この話しをみた時とっても考えさせられた。
胸が凄く熱くなった。
この宅老所のスタッフや婆ちゃんの息子さんみんながどんだけ婆ちゃんを愛して愛して、苦悩を重ねながら
婆ちゃんにとっての最善な暮らしを必死に見つけようとしていたのか
結局婆ちゃんは病院で亡くなってしまったけど
婆ちゃんの最後の何年かのストーリーは劇的で、病院を脱走したことで、沢山の人が婆ちゃんと出会い、関わり。
婆ちゃんがまた、笑顔をとりもどしたりも出来た。

これがベストなのかは解らんけれど、
介護には終わりはないし固定の正解もなと思う。
病気や障害をおって、リハビリや治療をおこない、その病気や障害を抱えた状態の『今の自分』の『今からの人生』を寄り添うのが介護だ。

その人の人生に関わるのだから、終わりをつけるなら、その人の『死』が終わりなのかもしれないけど、『死』があったとしても、その人の人生に関わった分、その人から得た教訓や経験は決して死なずに、生き続けて
次に繋がる。
だから終わりはないと思う。

そんな『介護』に関わる僕ですが、なぜかクリスマスの日に少し真面目に語ってみました。

昨日、奥さんと二人で金額を設定して、別行動でプレゼントを探しに出て夜に交換するという、おもしろ企画を開催しました。

絶対奥さんが思いつかないであろう物を買ったつもりでしたが・・・
結果まさかの、まるかぶり!!!!
そんなこんなで大爆笑のまま終了した今回の企画。
来年も続行しようという結果にいたりましたとさ・・・・おしまい☆

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